松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第26回 ブレス、声帯、キゥーゾ、アッポッジョ。


絶叫。大声を出すときは腹に力を込めて、高い声は悲鳴や遠くへの呼び声のように叫ぶのが、人間の本能に適った方法であり誰もが出来る普遍的且つ基礎的な方法でありました。
しかしこれらは大声や高音が出たとしてもあくまで噪音であって楽音ではない、つまり音楽に使うには余りにも美的ではない音声だと云う事になりましょう。それは身体の一部に強い力を働かせる事によって喉廻りのストレスを生み、dolceでlegatoな音楽表現のためには相応しく無い声だからなのです。
以前寝息の話をしました。寝息のように身体のどこにも力が入っていないブレスを歌に使うことができないか、という提案でしたが、寝息ほどのブレスでは大して大きな声が出る筈もない、と思うのが人情で、人はどうしても大声や立派な響きの声には通用しないと思うのは何も声楽を習わなかった人ばかりではありません。いや寧ろプロの声楽家の方がそのような偏見に満ちているともいえましょう。
クラシック音楽に於ける歌は基本的にマイクなどの拡声装置の助けを借りずに生の音声で歌うことですので大きな声が必用とされる、この様に考えるのが人情と云うものでしょう。
しかし音楽と云うものは常に大きな音を必要としているでしょうか?歌の内容を調べてみれば分かるように大きな声も必要ですが、囁くような小さな音も存在するのが分かる筈です。第一、始めから終迄大声の歌を聞かされ続けては途中で演奏会場を飛び出したくもなろうと云うものです。
こう考えてくると歌唱に必要な技術は音声の大きさではなく、声が如何に効率良く通るかと云う問題であることが見えて来ます。
では声が効率良く通るとはどんなことなのでしょう。必須の条件として歌の音声は楽音でなくてはならないという事でしょう。楽音でない声を噪音と呼びますが、濁声、喉声、揺れ声、叫び声、悲鳴、怒鳴り声など全てが雑音の混じったクラシック音楽で歌を歌うためには適さぬ声ということになりましょう。更に言及すれば、いくら大きな声が出ようと通る声でないと歌唱技術としては意味をなさないという事です。何故ならば囁く様な小さな声も同じメソッドから生まれてくるとすれば、根本的に同一の歌唱技術であるべきではないでしょうか。この様な事から歌唱はブレスの圧力や量に頼らぬ寝息のような一律で身体に優しい息づかいが基本と云えるのです。
寝息の話が一段落したところでもう少し具体的な話に踏み込んでみましょう。確かに寝息を使いながら声を出すとヴィブラートのない柔らかな声が長い間出るようになります。これは寝息の時には声門が開き、横隔膜の収縮による働きにより、僅か2、3秒程度で空気の出し入れが出来ていたものが、音声を出す時は声門が閉じられるのでかなり長い間声が続く現象が起るのです。
確かに寝息で声を出すとヴィブラートの無い柔らかな響きの声が出るでしょう。では強い声、大きな声はどうすれば良いか。
従来の発声技術ですとブレスの圧力や量を増やすのが一般的な方法でした。しかしそれでは雑音は出ても楽音は生まれません。我々が必要とするのは小さな声も大きな声も変わらぬメソッドであればppからffまで同一の歌唱技術によって歌を表現することができると考えているに他ならないからです。
そこで考えられるのが声のスピードについての考察です。声と云うものは息が声帯を通過するとき声帯の振動によって生れるものだとすれば、息の圧力や量を増さずにより強力な声を出す術を見つける事に尽きます。
声のスピードに目を付けたのはこの様な理由からで、ppもffも同じ圧力と量のブレスが使えるならば、こんな理想的な話はありません。例えば水道の蛇口に短いホースを付けて蛇口を捻ると一定の水圧と量で水が出ます。このときホースの口を摘めば水の勢いは増しますが水量は変わりません。水圧は強くはなるものの水道本来の水圧に変化は無いのです。
このアイディアを声に当て嵌めてみますと、ブレスの圧力や量を増やさずとも、ホースの先を摘めば声の勢いは増す。ホースの先を摘むというのは声帯をより確り閉じることを意味します。つまり声帯全体を使って声帯をより強く閉じる事によって勢いのある強い声を出す技術を身に付けるべきです。
声帯は気道と食道の分かれ目の気道側にありますが物を呑み込むときには物が気道に入らぬよう声帯は自動的に閉じるようになっています。この誤嚥を防ぐ人間の反射を利用して声帯を強く閉じることが出来るのです。
唾を飲み込むつもりで声を出すとアインザッツの効いた明瞭な声が出ます。このように声帯の操作による声の出し方を覚えると寝息を使いながらもヴィブラートのついた素晴らしい響きの通る声が手に入るでしょう。ただ本当に唾を飲み込むと喉は上に上がってしまいますので、甲状軟骨の前傾は失われてしまいます。声帯全体を伸展させて高音域に備える技術には不備が生ずるのです。従って更に具体的に言えば促音、小さな「ッ」の発音を事前に試みるのも効果的だと思います。例えば「アッ」と発音した後歌い出すと反射で声帯が閉じられた状態から歌い出すことが簡単にできるものです。
このように人間の属性に基づく反射を利用する事が何よりも確実な技術の習得法である事も存在しますので参考まで。
ここまでお話ししたのがいわゆるchiusoの技術です。世に言う発声法の理想的な形、アクートでは必須のテクニックである事は言うを待ちません。さてそこで前回お話ししたアッポッジョ(支え)とは一体何だったのでしょう。四人の先生方は歌のブレスにまつわる正当な声の響きとして捉えて居られた様ですが、土台、声という目視できぬものを支えると言った概念が必要なのでしょうか、言ってしまえば、安定した声の響きはどの様につくられるか、という事であれば何もアッポッジョ(支え)などと言う言葉を持ち出さなくても済む話ではありませんか。
寝息のブレス、甲状軟骨の前傾による声帯伸展、更に声門閉鎖を伴うアクートへの技術導入が行われれば声は自ずとジラーレする、この全体の作業をアッポッジョ(支え)と呼ばずに何と呼ぶのでしょう。
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