松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

19世紀から進化しない音楽教育に欠けた視点


音楽大学で一度挫折した後、ITコンサルティング会社を起こし、その会社を大きく育てたのちに売却に成功、40代になってから音楽大学に入り直した人物がオーストラリアにいる。
スーザン・デ・ウェジャー氏(画像は本人のTwitterより)
それが、ホルン奏者のスーザン・デ・ウェジャー(Susan de Weger)だ。


彼女は今、ホルンの演奏活動のかたわら、ITコンサルティング会社を経営した経験を、メルボルン音楽院で学ぶ学生たちへのビジネス教育およびキャリア形成支援プログラム“IgniteLAB” を運営する形で還元している。


冒頭の言葉は、The Entrepreneurial Musicianにおけるインタビューで、そのデ・ウェジャー氏が語ったものだ。


*ビジネスで成功した人物がなぜ音楽では挫折したのか


ふつうは、「音楽での挫折から立ち直り、どうやってビジネスで成功できたのか?」という問いになるだろう。


しかし、「なぜ、ビジネスの高い能力のある人物が、音楽では手痛く挫折したのか」という問いが、このインタビューの背景にあった。


そして、ビジネスで成功した方法が実は音楽家・芸術家として充実した活動を自分で築きあげていくカギになる。


音楽の世界では、楽器が上手に演奏できないと、あるいは演奏のプロとしてタフに生き抜いていないと、「何の能力もないダメなやつ」と断じられがちだ。


筆者自身、音楽大学での学生時代、残念ながら技術的に誤った指導と、腰痛により演奏能力を大幅に失ってしまった時期がある。


そこから回復し、さらに上達していったのは在学時の最後のほうであったし、卒業後、いちおうプロ演奏家のはしくれとして細々と演奏活動を始めた頃になってからであった。


そのため、音楽大学時代の大半は、「できない奴」「かわいそうな奴」……。そんな目を絶えず向けられているように感じ、自尊心や自己肯定感はボロボロになっていた。


入学当時の、「一目置かれる」目線が、調子を崩したとたん、サッと冷たく変わっていたように感じたことを思い出す。その救いのなさには、いまでもゾッとしてしまう。音楽大学という場所は、どんな国や学校でもある程度そういう面があるだろう。


そうやって、「もうダメだ」と周りから思われ、自分でも「もう無理だ」と思わざるをえないような人が、自分で会社を起こして成功する。


音楽の世界の「評価」と、広い社会で生きていく力の間に、結びつきがないのだ。あるいは、音楽の世界の「評価」は、もしかしたら現代社会においてアテにならないものになっているのではないか?という疑念が湧いた。


それが、冒頭に記したデ・ウェジャー氏の言う『音楽教育モデルは19世紀のモデルで固着してしまっている』ということなのかもしれない。


デ・ウェジャー氏は、従来型音楽教育モデルの特徴として、いくつか重要な指摘をしている。


「音楽教育では、コンサートソリストになるとかオーケストラ団員になるといった1つの特定の結果を得ることばかりに話が集約していってしまっている。でも、そういう職業にはこの国で輩出している音楽教育の卒業生のうち0.4%しか就かないのに。その乖離の深刻さが目立つ」 


*音楽家が自身の活動をどう実現するか


これは、日本でもよく指摘されることだ。音楽大学に行くことのリスクや、「音楽では食っていけない」という主張をするための根拠になっている。


しかし、デ・ウェジャー氏は、日本でありがちな「音大は学生を騙して金を取っている」というような、やっかみのような非建設的な意味のない悪口を言っているのではなく、「その現実をふまえて、音楽家がフリーランサーとして、あるいは音楽以外の職業を通じて自らの芸術活動をどう実現するか」を考えよう、教育しようという立場である。


その具体的な形が、先出の“IgniteLAB”である。その活動の一例を、デ・ウェジャー氏の言葉で紹介しよう。


『高校生を対象にした講演で、大学で音楽を専攻することを考えている子たちに伝えている。


“音楽家の本当の生活はいろいろなことをするものだ。演奏もするけれども、それ以外もたくさんの仕事や業務に関わったりする。音大で受ける教育にはとても価値があって、応用できるもの。ただし、商業やビジネスの勉強と訓練もあなたたちには必要”、と


また、高校生の時点で楽器の演奏が上手な子たちで大学ではエンジニアリングや科学を専攻するつもりの子たちには、どうやったら音楽生活を続けられて、音楽から学ぶことや得ているものが就職・転職市場でどう有利になるかを話す。他者との協同・よく聞くこと・ディテールへの注意力といった、音楽を通じて培っているものを適切にアピールすればよい』と話し次のように続ける。


『どんな子にも共通して話すのは、この世界は独自で固有の見方や声を必要としているということ。あなたたちは、あなた自身である必要がある、と。なんでもできるんだというマインドセットが必要。演奏が上手になるためだけの教育じゃない。


また、プロの楽団員たちの音楽演奏以外への道への転換を手助けする。演奏家としてのキャリアから、新しいキャリアに移りたいと考えている団員や怪我をしてしまった団員たちのために。ここでも本質は同じで、音楽家はたった1つだけ“演奏”ができるようになるだけの教育を受けてきたんじゃない。音楽の教育は、演奏以外にも実にいろんなことができるようにしてくれている。


音楽の教育を受けたわたしたちは、非常にユニークなスキルの組み合わせを持っていて、自分は音楽を提供することしかできない・やらないというマインドセットから離れさえすればなんでもできるんだ・可能なんだというマインドセットさえ持てば、本当に多様な方面で成功できる』


*なぜ音大に入ったかという原点


筆者は、音大時代のある時点で、長らく忘れていた「そもそもなぜ、音大に入ったのか」という原点を思い出すことができた。


それは、初めて受けた楽器のレッスンがものすごく面白く、「自分もこうやって演奏を教えられるひとになりたい」ということがきっかけで、「それなら音大に行こう」と決めたのであった。中学生の頃である。


そのため、卒業前からSNSなどで、「卒業したらレッスン活動をしたい」ということをよく書いていた。それが、ある熱心なアマチュア音楽家の目にとまり、彼はドイツの音大卒業後、帰国翌日からわたしの家に押しかけてレッスンを申し込んでくれたのである。


その方は、その地域の中心的なアマチュア音楽家で、たくさんの方を紹介してくれ、ソロ演奏の機会も作ってくださり、大人のアマチュア音楽家が何を求めているか、何に困っているかを数年にわたり私に教え込んでくれた。


「顧客情報」と「マーケットリサーチ」が向こうからやってきたようなものだった。非常に幸運であり、間違いなくいまの筆者の仕事の基礎となっている。


しかし、音大ではそのようなことを考えるきっかけは皆無であった。アマチュア音楽家に対する意識・目線にいたっては、見下すようなものが多い。演奏能力=人間としての価値、という雰囲気が支配的であるからだ。


デ・ウェジャー氏は、音大に入る前から、「その後」と「自己実現」を見据えた問いを投げかけ、芸術活動を現実に根ざして手助けする活動をしているわけだ。


このインタビューに数多くある指摘からもう1つだけ紹介しよう。


『音大生や音楽家は、聴衆・オーディエンスを獲得するための努力を“汚い”と思ってしまう。自分を売り込むということは、素晴らしい音楽を聴衆と共有する、という音楽家の人生の目標を達成するためのものなのに』


この原因を、インタビューホストのヒッツ氏はこう推測した。


『実際は大抵、拒絶されることを恐れている人たちなんじゃないだろうか。「汚い売り込みはしない」と言っているのは、売り込みをすると断られることが当然あるという現実から逃れる言い訳にすぎないと思う』


それに対して、デ・ウェジャー氏はこう答える。


『……断られることを恐れているのならば、“なぜ自分は断られることを恐れているのか?”ということに向き合う必要がある。


その恐れは、なぜ自分がこの活動をしているのかということがどこか不明確になっているから来ているのでは? 音楽活動はとても自己満足的というか贅沢な仕事。自意識過剰になりやすい。


でも、音楽を他者のために演奏し仕事としているなら、失敗なんて存在しない。断られることなんて何も気にならないはず。


朝起きて、演奏会の案内を送るとか、企画の売り込みの電話をかけるとか、そういった行動をするかどうか、全部自分次第。


スポーツ心理学博士でジュリアード音大教授のノア・カゲヤマが述べた。


“芸術とは自分のために自分のエゴでやることではなく、まったくもって他者に奉仕することなんだ”と。


それを明確に理解していたら、その活動の「音楽」の部分と「ビジネス」の部分はどちらも自分次第なのだとわかるはず』


*演奏は聴衆とのコミュニケーション


音楽で生計を立てる、という意識を持つにあたり、音楽家や音楽教育の現場は、音楽が汚される・質を犠牲にするという恐怖感を持つのではないか、と思う。それは、音楽教育において練習量・努力量が偏って強調されがちなこととも結びついているかもしれない。


しかし、音楽の演奏は聴衆とのコミュニケーションだ。人との交わりなのである。コミュニケーションを据えたとき、ビジネスとマーケティングもまたコミュニケーションなのであるから、ひとりの音楽家のなかの芸術と生活の葛藤は制限以上に創造性とエネルギーの源になるのではないか、と筆者はそう考えている。
(東洋経済)
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