松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第1回 発声法の授業が無い!


今からするお話しはフィクションでも小説でもありません。
1955年音楽大学の声楽科に入学以来、現在に至るまでの63年間に渡って私が経験した実話であり、日本の声楽界の歴史の一断片だった事を皆さんに知って頂きたい、そしてこの歴史の一断片を皆さんがどの様に受け止め、どの様に考えるかによって、日本に於ける声楽界の有様が今後どの様に変化するかはここで予測する事はできないにしても、一つの重要なターニングポイントとなりうる事は十分に考えられると思うのです。
したがって固有名詞を用いたり、名指しで相手を批判したりするのは控えさせて頂きたいと思います。何故ならば過去のこの様な事例を持ち出すのは、私個人の恨み辛みを訴えるのが目的ではなく、その時代の時代的背景を具体的に理解して欲しいからに過ぎないからなのです。
誤解のない様、敢えて申し上げますが、高校を卒業し、受験準備のため1年間浪人生活を送りはしましたが、翌春見事1発で音大合格を果たし、卒業こそしませんでしたが、日本の有名オペラ団体に所属し、40年間に渡って50本以上のオペラに出演させて頂いたのは私にとって順風満帆の人生だったと、感謝こそすれ何で恨み辛みが申せましょう。今迄お世話になった諸先生、諸先輩、TV局、レコード会社、劇場、音楽関係の方々、顧客の皆様方などに心より感謝の気持ちこそあれ、個人的な恨み辛みを申し述べる気持ちなど抱ける筈もないのです。
とは云え、私が音大に入学した1955年代の大学教育の現状は、現在では到底予測できる様な代物ではありませんでした。1949年音楽学校から大学に包括されて僅か6年後に入学したわけですから、それほど学内環境が整備されている筈もなく、旧音楽学校のシステムはそのまま受け継がれ、カリキュラムだけが大学並になった、と言っても差し支えないほど代わり映えのしないものでした。
入学して何よりも不思議に思った事は、声楽科でありながら発声法について研鑽できる科目が余りにも希少だった事です。確かに音声学という授業はありましたが、声楽科の学生が各自の発声技術に反映させる実際にまで至る様な広がりは望むべくもないものでした。
発声技術は歌を歌うためには何を措いても習得しなければならない技術であるはずなのに、これらの技術習得についての実際は声楽個人レッスンの場に全面的に任され、各教室独自の発声理論による発声法の実際に任されたと言っても良いでしょう。それだけではなく他教室の学生の発声技術についてとやかく言及するのは控える慣例の様なものさえ蔓延し、どちらかと云えば発声の奥義について表立って語られる環境は少なかったと思います。
今でこそコーネリウス・リードの「ベルカント唱法」やフレデリック・フースラーの「Singen」などの著書が溢れ、発声法に関する専門書、知識、用語が市民権を得るようになりましたが、当時のキャンバスではベルカントのべの字も学生の話題に上らなかったのは日本の音楽大学の実情を示すものでしょう。
声を作るためには腹筋を鍛えるべし、とばかりに腹筋でグランドピアノを動かすトレーニングや、舌の筋肉の緊張を防ぐために口の中に鉛筆を差し込み発声練習するなど、まさに阿鼻叫喚の世界で、学生が発声法に対する関心を失うような現場が展開されたのも元はと言えば教師も学生も発声技術の本質が日本には未だ定着していなかっただけの話ではなかったのでしょうか。
声楽界に黒船が来航したのは1956年9月NHKイタリア歌劇団の来日公演でしょう。この日を境に日本の声楽界はそれまでドイツ音楽一辺倒だったものが怒涛の様に押し寄せたイタリア音楽に飲み込まれてしまった、と言っても過言ではありません。
次回はイタリア歌劇団の来日公演のお話をしましょう。(つづく)
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