松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第2回 NHKイタリア歌劇団


1956年9月NHKイタリア歌劇団の来日公演は日本の声楽界にとって黒船来航に匹敵する程の出来事でした。私が芸大に入学したのが1955年ですので、丁度二年生の後期の時です。前評判もかなりなもので、イタリアオペラ日本へ引っ越し公演と銘打ったものでしたので人気も上々、我々貧乏学生は1円でも安いチケットを入手するために、徹夜をしてでも入場券発売所へ並ばざるを得ません。
何しろラーメン1杯が¥50の時代、最も高いS席が¥2,800、最も安い桟敷席でも¥800。今で言えば凡そ10倍の値段になるところでしょうが、それでもプレミアムが付きダフ屋が横行したものです。「もはや戦後ではない」が流行語となった時代背景が偲ばれます。
初日は「アイーダ」豪華絢爛な絵巻物とはこのことを言うのでしょうか。まさに今迄日本人が見た事も聞いた事もない舞台に大音量の声が響き渡るのですから、観客はただただパニックに陥らざるを得ません。ジャンジャコモ・グエルフイが歌ったアモナズロの第1声「Suo padre」に東京宝塚劇場の観客が総勢、吐息とも感嘆とも取れる響めきが上がりました。
イタリアオペラの大音声についての誤解は1959年第2次イタリア歌劇団公演のマリオ・デル・モナコの来日によって決定的なものとなってしまいます。黄金のトランペットと称されたドランマティーコテノーレが十八番のオテロを歌うのですから悪かろう筈がありません。一夜にして日本中がドラマティックテノールの虜となってしまったのです。
プロとして活躍中のテノールは言うに及ばず、プロ予備軍のテノール、更には音大在学中のテノールは悉くドランマティーコテノーレを目指したものですから堪りません、日本中が音声障害のテノールで溢れる始末となってしまいました。
何故このような事が起こったのか、それはドラマティックな声を聞いても、どうすればドラマティックな声を出す事が出来るかを教わらなかった教育の結果でもあります。
当時の発声法の主流はイメージによる教育でしたので、声の響きを増すためのイメージとして、目の奥を明るくする。薄い高音域をカバーするためのジラーレ習得のために高音はうなじで響く、声の伝達力を増すために顔面の前に仮面を想定してそこへ声を集める、声の支えの強化として重心を出来るだけ低い位置に保つ、などのイメージによる発声法の伝授が盛んでしたので、人間の身体の筋肉や器官がどのように動けば、結果どのような声が出る、といった科学的、論理的整合性のある発声法の教育は行われていなかった上、その様な教育者も見受けられなかったのが最大の原因と言えましょう。
発声法の科学的、論理的教育を受けなかった若者達が自己流のアペルトのまま低い地声の響きで高音域を歌おうとするのですから、ブレスの圧力に頼り切った胴間声のテノール歌手が蔓延るのも無理のない話で、発声法の学力に乏しい者が勢いだけでこれらを解決しようとするのは、政治に無頓着な人々が現政権の立憲主義に基づかぬ政権運営を容認する様なもので、論理的整合性はどこにも感じられぬ殺伐としたものになってしまうのも必然と言えます。
確かに外国の歌劇場などでは、オペラの音楽や歌唱法などを指導するコルペティトーレや発声法を教えるマエストロがいて公演の度に歌手のケアーをしてくれるのですが、常時付き添ってくれるものでもなく、発声などの細かい管理や調整など自分で修正したり、チェックしたり出来なければ一人前の歌手とは言えません。つまりイメージトレーニングによる発声法の訓練で済ませられる様な生易しいチェックでは到底長い歌手生活を安定して乗り切れるとは考えられぬ事で、論理的、科学的に構築された発声法の理論を身に付ける必要に迫られるのは当然の成り行きと考えざるを得ないでしょう。
日本も発声理論を教えるマエストロを求めていたのです。
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