松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第17回 Coffee break 嘘は泥棒のはじまり

今回からCoffee breakと云う項目を設け、世の中の閑話、井戸端会議を盛り上げて見ようと思う。閑話休題という四文字熟語はあるがこの反意語は無い。そこで閑話放題と云う造語を拵えて興ずるのも満更でもなかろう。是非ご同席あれ。



「嘘は泥棒のはじまり」とは云うが、
安倍晋三ほど嘘の多い総理大臣も嘗て見たことが無い。どちらかと云えば日本語のボキャブラリーについては疎い知能の持ち主だが、これがその活用となると、まるで別人の様な言葉さばきの術を披露する。例えば2013年IOC総会でのプレゼンテーションでは、「フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません」と大見得をきったがアンダーコントロールという言葉は使っていても福島第一原発原子炉爆発による放射線被害については触れていない。
日本の新聞を黙らせる事はできても、世界のジャーナリズムの口を塞ぐことはできず、ドイツを始めとする2020東京オリンピックの不参加の輪は世界に拡がりつつある。



この話が表沙汰になれば、内閣の1つや2つ吹っ飛んでしまうとまで云われた、森友学園問題では2017年衆議院予算委員会において次の様に述べている。「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」、また「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切この認可にも、あるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして」、さらに「繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」
ここでも嘘と証明出来なければ嘘をついたとは言えない、と云う論理を展開することによって、逆に忖度という印象操作を作り上げてしまった。つまり嘘をついても飽くまで泥棒のはじまりであり、泥棒をした訳ではない、犯罪に繋がるきっかけであり犯罪を犯したことにはならない、というロジックの展開なのだ。



昔はこの様な言いぐさを屁理屈と云った。筋道のたたぬ論理の展開の事である。この言葉の底には「武士に二言は無い」といった倫理観があり、当時の階級社会のトップに君臨していた者の言葉の重みについて、言葉を操る人間の倫理観について戒めたものだったが、鎖国が解け、西洋文化が我が国を席巻するようになると、言論は自由になり平民も憚ることなく言葉を操るようになった。
散文的な西洋の言語に対し、韻文的とも云える日本語の独自性に表現の自由が加わったものだから、言語を駆使する人間の素養や倫理などにはお構いなく皆が日本語の曖昧さを駆使した。もっとはっきり云えば、言葉を操る作法や資質に乏しい者までが、難解で曖昧な日本語を撒き散らす結果を産んでしまった。
街にはカタカナの日本語が溢れ、造語を遥かに超えた意味不明の日本語が氾濫し、日本語による日本人の日本語会話が現在の日本に定着し一流の国語辞典までが、これらの壊れかけた言語に市民権を与えようとしている。
「私は総理大臣ですから、嘘をつくわけがない事を申し添えておきます」この発言こそ泥棒の始まりである事を肝に銘ずべきではなかろうか。閑話休題。
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