松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第15回 クラシックの歌はなぜ難しい


世の中の暮らし向きが多様化してきたせいでもないでしょうが、本格的に声楽を習ってみようと考えている人は意外に多いと思われます。現に私のところへも会社社長、大学教授、医者など、今迄声楽には全く縁のなかった人達がレッスンを受けに来ます。
確かに楽器そのものが自分の身体に備わっている咽なのですから、特別な不都合が生じない限り万人が歌を楽しむ素質を持ち合わせていると云えるでしょう。
ところが歌は厄介なもので、おなじ芸術のなかでも絵画や舞踊のように姿形として目視できる代物ではありません。したがって歌を教える方も教わる方も、目に見える具体的な事柄を事例として示しながらの伝授、習得には至らぬもどかしさが付き纏うのです。
 
正直なところ声楽は声帯のコントロールさえできれば、歌に必要なブレスの流れや、筋肉のはたらきや、発音のあり方は自ずと良い方向へ向かってゆくものですが、声門閉鎖や声帯伸展などを説明するには咽の中を開いて見せるわけにもいかず、歌っている人の声を聞いて善し悪しを判断する、つまり医者が聴診器一つで患者の病気を診断するにも似た苦労が待ち受けています。
声帯のコントロールはこのようにブレス、筋肉、発音にも影響を与え、これら4者のバランスが上手く保てないことには美しい声は生まれぬ難しさがあるだけに、いわゆる発声法で云われているパッサージョやアクートの習得がもっとも困難な問題として浮かび上がってくるのです。

元来歌というものは人間にだけ許された行為であり、他の生き物が真似のできぬ特技でもありますから、難しい事はさておき、赴くまま、気の向くままに歌えば良いのでありましょうが、人間には文化という大切なものも背負って生きているわけですので、おいそれと自分勝手に振る舞うわけにもいきません。
オペラ歌手の声が幾ら素晴らしかろうが、日本の演歌をこれらの発声法で歌うとすれば、どれほど発声法が正しく、声が素晴らしかろうが聴いている観客は皆鼻白んでしまう結果がまっているでしょう。また幾ら売れっ子の演歌歌手であろうとも、演歌の発生技術をもってオペラの曲を歌ったりすれば、ブーイングは疎か観客の苦笑を買うのは間違いのない事実となることでしょう。
つまり歌には夫々のジャンルがあり、その領域のなかで保たれている様式を踏まえた上で発達し花開いた文化であることを忘れてはならないのです。
音楽大学の声楽科を卒業した諸君は勿論の事、現在プロ歌手として活躍している人々ですら、これらの問題を克服し、身につけた人はそれほど多くは存在しないでしょう。それほど南蛮渡来の西洋音楽の文化を取り入れ、自国の文化に馴染ませるには膨大な時間とエネルギーを必要とした事は想像に難くありません。逆に欧米の人達が如何なる研鑽、努力を払おうと、日本独特の文化、能や歌舞伎を習得するのは余りにも程遠い道のりであることを考えれば、文化の落差の大きさを感じ取る事ができるのではないでしょうか。
更に文化や様式の違いだけではなく、声楽を習おうとしている人々に敢えて申し上げたい事は、声楽を習おうとしている人々が考えている「歌を習えばそのうち声も良くなってくるだろう」と考えているのは間違いであり「歌を習えばそのうち声も良くなってくる」のではなく「声が良くなる技術を身につけなければ如何なる歌も美しく歌えない」事に気付くべきであって、自分の咽の楽器づくりと歌を仕上げる作業とはまったく別の修練が平行して存在する事に留意すべきなのです。

声楽を習って良い声で美しい歌を歌いたいと望んでいる人の思いもよらなかった挫折は、声づくりという困難な作業の果てに歌が歌えるようになるというプロセスを知らなかったばかりに起こる悲劇に他なりません。

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