松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

問われる「開催の意義」“空前の錯乱”東京五輪が晒したもの


 2020年東京五輪のマラソンと競歩の札幌開催計画が、30日から都内で開かれるIOC(国際オリンピック委員会)調整委員会で協議される。もっとも札幌案が撤回されることはなさそうだ。東京都の小池百合子知事は了承していないものの、IOCのコーツ調整委員長は「決定権限はIOCにある」と小池に突き付けており、既にマラソン発着点を札幌の大通公園にする案での調整が進んでいる。
 だが、札幌に決まったとしても警備や受け入れ態勢など課題山積だ。早速、大モメなのが開催地変更に伴う費用負担の問題。北海道と札幌市は「大会組織委員会や東京都が負担するもの」として支出しない考え。札幌案の言いだしっぺのIOCも「予備費を充てるべき」と組織委や都に丸投げだ。一方、東京都は「変更される場合は、都は負担できない」と小池が明言し、組織委は武藤敏郎事務総長が「IOCが負担すべき」との認識を示した。
 それぞれが押し付け合うばかりの醜態なのだが、大会経費は最新の予算計画によると、組織委、都、国の3者で総額1兆3500億円に上っている。さらなる負担を誰がするのか。ただでさえ招致段階で7340億円だった予算がどんどん膨れ上がっているのに、IOCが逃げれば最終的に税金が追加投入されることになりかねない。
「地方財政法では、自治体の予算は特例を除き、他の自治体に使うことを原則禁止されているので、東京都は簡単には出せません。費用分担については、既に国と都の間で何度も揉めていますが、そもそも東京五輪はお金のかからない都市型のコンパクト大会のはずでした。費用を抑えないと、招致に手を挙げる都市がなくなってしまうからと、東京は“お手本”になるはずだった。会場変更すれば費用が膨らむのは当然です。IOCの鶴の一声を予算の手当てなく『仕方ない』で受け入れる組織委も無責任過ぎます」(都政に詳しいジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
 だいたい今の日本に、五輪のためにこれ以上使えるカネが余っているのか。台風15号、19号に続き、先週末も21号による記録的豪雨で27河川が氾濫、多数の死者が出た。地球温暖化の影響もあり、今後、水害が増える可能性は高く、堤防強化や電柱地中化など対策は待ったなしだ。東日本大震災からの復興も途上で、原発汚染水や放射性廃棄物の処理もままならない。
 自然災害は自力再建が基本だとして個人はなかなか補償されない。激甚災害の指定もハードルが高い。その一方で五輪ならすんなりカネが出るのか。被災者の苦悩を尻目におもてなしの偽善。そんなデタラメ日本に世界は失笑だろう。


■オリンピズムが謳う平和の祭典は完全に変質
 最終日の華であるマラソン会場が、開催9カ月前に突如変更という空前の錯乱五輪。今回の一件で白日の下にさらされたのは、五輪がいかに欺瞞に満ちたものであるかということに他ならない。
 近代五輪の父・クーベルタン男爵が唱えたオリンピズムは「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などの差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というものだ。しかし、今や平和の祭典なんて風前のともしびである。いや、五輪はもう40年前に変質を遂げてしまっている。1980年の旧ソ連のモスクワ五輪で「政治化」し、84年の米ロサンゼルス五輪で「商業主義化」したのは、多くが知るところである。
 新著「オリンピックの終わりの始まり」を出版したばかりのスポーツジャーナリスト・谷口源太郎氏が言う。
「モスクワ大会は東西冷戦構造の中で初の社会主義国での五輪で、冷戦に良い変化を与えるのではと期待されていた。しかし、旧ソ連のアフガン侵攻を理由に当時のカーター米大統領がボイコットに動き、西側諸国に同調を呼びかけたのです。当時のキラニンIOC会長(72~80年)が各国を説得して回りましたが、米国の影響力は大きかった。スポーツを通じての相互理解と国際協調、平和貢献というオリンピズムがもろくも崩れた大会で、『五輪の終わりの始まり』といわれたものです。これにダメ押しをかけたのがその4年後のロス大会。東側諸国が報復でボイコットしただけでなく、全面的な商業主義に移行し、それまでとは全く異質な大会に変わってしまいました。取材に行きましたが、スタジアム内は飲み物からゴミ箱まであらゆる物のスポンサーが徹底されていて、驚いたものです。収入の3本柱は、①テレビ放映権料②1業種1社のスポンサーシップ③銀行に預けて利息を得るため、1年以上前に入金させる入場料。まさに市場経済の中に五輪が投げ込まれたようなもので、完全に『スポーツショー』と化したのです。これを見たサマランチIOC会長(80~2001年)は『この手があったか』と商業化に飛びつき、IOC自体がビジネスに関与し始め、現在に至っているわけです」
 五輪はしょせん、政治プロパガンダと商業主義にまみれた大会なのである。だから安倍首相が国威発揚に利用した。来年の東京大会のマラソン札幌案だって、「アスリートファースト」なんてチャンチャラおかしい。そもそも酷暑を避けて10月にでも開催すればいいものを、真夏にこだわるのはスポンサー重視で欧米のプロスポーツシーズンに重ならないようにするためだ。
 スポンサーが優先されれば、五輪は永遠に真夏にしかやれない。2024年の開催都市・仏パリは今年7月末、40度超の猛暑だった。パリのマラソン会場も変更されるのか。温暖化が進む地球では、そのうち北極や南極でしか五輪はやれなくなるんじゃないのか。


■東京大会で浮かび上がる落ちぶれ五輪の断末魔
 汚れた五輪は、政治プロパガンダと商業主義にとどまらない。カネで開催権を買うのが常態化しているのだ。2016年リオ大会の招致を巡り、ブラジル五輪委員会の会長が17年に逮捕されている。容疑は「開催都市を決める投票権を持つIOC委員の息子に関係する口座に約200万ドルを振り込んだ」というものだったが、東京も同じ道をたどるのではないか。
 JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和前会長も同じ委員の息子に裏金180万ユーロ(約2億1600万円)を渡した疑惑が持たれているのだ。東京大会終了後に火を吹くことになるのだろう。
 招致に億単位の裏金が必要で、開催が決まっても運営に巨費がかかる。IOCとスポンサー企業だけが儲かり、終わったら多くの施設は取り壊すから、税金はドブに捨てられ、開催都市には負の遺産しか残らない。さらに、コントロール不能な気象条件まで制約を付けられれば、バカバカし過ぎて五輪など誰がやりたがるものか。マトモな国はもう招致に手を挙げないだろう。
「現在のIOCバッハ会長(13年~)はドイツ人弁護士で徹底した現実主義者です。就任当初から五輪の今後に危機感を持っていて、五輪を持続させるためなら何でもやるという考え。競技種目にスケートボードやスポーツクライミングを入れたのは若者の五輪離れに歯止めをかけるためで、4年後のパリではブレークダンスが追加される方向です。将来的には『eスポーツ』が加わるかもしれません。一昨年、24年のパリと28年のロサンゼルス開催を同時決定したのも、招致に手を挙げる都市が出てこなくなる不安があったからです。今後についてIOCは『アジェンダ2020』で、都市を分散しての開催や予選を海外で行うことすら検討しています。持続性を追求するあまり、五輪の基本的な理念すら放棄してしまうのは断末魔のあがき。誰のため、何のための五輪なのか。近代五輪はとことんまで落ちぶれた。2020年東京大会はその最終舞台として鮮明に浮かび上がるのでしょう」(谷口源太郎氏=前出)
 IOCの焦燥感とは裏腹に、東京の迷走と滑稽は五輪離れをますます加速させることになる。
(日刊ゲンダイ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「美声を科学する」販売店
◉Mazzuola Editore ダイレクトセール・松尾出版直販(送料無料)
http://mazzola-editore.easy-myshop.jp
◉Amazon
https://www.amazon.co.jp/美声を科学する-松尾篤興/dp/4990812808/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1521368401&sr=8-1&keywords=美声を科学する