松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第27回 マゼットの想い出、我らがターチャン。


私が二期会の会員になったのが1963年、その年「マルタ」のトリスタンでオペラデビユを果たしましたが、本当の意味でメジャーデビユをしたのが1968年二期会本公演「ドン・ジョヴァンニ」のマゼットの役でした。
大橋国一さんはじめ、立川澄人さん、伊藤京子さん等の超ベテラン達に囲まれ、おまけに演出はドイツから来日したヨゼフ・ヴイット氏。私にとってこれは大変なプレッシャーでした。
ヴィット氏が細かく説明して下さる演出プランのドイツ語が私にはまるで通じません。
彼としてみればこんなに詳しく説明したのに松尾はなぜ解らないのだ、と思ったに違いなく、度重なる注意の語気にだんだん苛立ちが感じられる様になってきました。
見るに見かねて助け船を出して下さったのが大橋国一さん。私に関するあらゆるヴィット氏の演出注文を全て通訳して頂いたばかりか、励ましても下さったお陰で、立ち稽古はよどみなく流れ、私も自分を取り戻す事が出来、キャストとしての責任を果たせたのです。
田舎の青年マゼットの婚約者ツェルリーナは伊藤京子さんがお相手して下さいましたが、伊藤京子と言えば二期会のプリマドンナであり一枚看板である京子さん相手のラヴシーンはメジャー初登板の私にとって緊張の連続で、芝居と分かっていてもなかなか身体が思うように動きません。当時の私は煙草を嗜んだので身体を寄せ合って歌う場面など相手にヤニ臭い不快感を与えてはならぬと、口臭除去剤を咽に吹きかけては歌っておりました。
努めて恋人らしく振る舞ったつもりですが、大先輩に対してどうしても腰が引けます。ヴィット氏も納得しません。
芝居と云うものは舞台に出ている時の芝居だけを演じるのではなく、どのようなドラマが舞台に出るまでに展開されたかのディテールが埋まらなければ駄目だと教えられ、私はこの一言に目から鱗が取れる思いでした。
芝居は舞台裏で創るものだ。今思うとヴィット氏のこの一言がなければ私はとっくにオペラ界から姿を消していたでしょう。
公演は大成功に終わりマゼット如き小さな役にも関わらず新聞の音楽評に私の名前も出て好評を頂きました。終演後のパーティーでヴィット氏は「小さな役と言うものはあっても、小さな役者と言うものは存在しないのだ」とジンジャー・ロジャースの一文を引用して労って下さいましたが、大橋国一さん始め諸先輩方のご厚情に唯々感謝あるのみです。



ターチャンとは立川清登さんの愛称です。私は立川さんと呼んでいましたが、仲間内での話になるとなぜかターチャンの方がピッタリするのは立川さんの気さくな人柄によるものでしょうか、立川さんも同じ九州大分の出身であったせいか、私の事を「松ッアン」と呼んで懇意にして頂きました。
学生時代、立川さんとは同じ九州の出身だと云うと「アラ、御親戚?」と言われたものですが、似ていると言えば横須賀線の電車の中で団伊玖磨先生に間違えられた事もありました。要するにその手の顔なのです。
関西労音、神戸での「フィガロの結婚」公演の時、二幕で伯爵に扮する立川さんが伯爵夫人の部屋のドアを壊そうと金槌を振り上げるシーンがありました。本物を使うには重くて手足纏いだし危険でもありますので頭の部分がゴムで作られた小道具となっています。
立川さん「この戸を壊しますぞ」と勢いよく振り上げたのは良いが、弾みで金槌の頭が飛んでしまいました。飛んだだけなら未だ良かったのに金槌の頭は彼の目の前に落ちてきました。本物だと大変危険なのですがそれを見越したかの様に頭はゴムで出来ています。
落ちて来た金槌の頭は立川さんの目の前で二三回弾みました。舞台上に居合わせた歌手は勿論の事、観客も目ざとく見付けて笑い出す、歌うどころの騒ぎではありません。劇場全体笑いの渦の中で空しく伴奏のチェンバロだけが鳴り響いていました。
ゴルフも度々御一緒しました。酒も煙草も嗜まぬ立川さんの唯一の趣味ではなかったでしょうか。何しろ底抜けに明るいゴルフで、OBになると「アリャー!」短いパットを外せば「ヒャー!」それはもう賑やかな事夥しく、オペラ歌手であるから声は人一倍良く通りますし。同じパーティーでなくとも彼がパットやショットに失敗した様子は他のパーティーからも手に取るように分かる光景でした。
本人としては全く大真面目でプレーしているからこそあれだけの大声が出るのでしょううが、それが又妙に滑稽で同伴者の雰囲気を和らげます。幾らスコアーが悪くとも決して不機嫌になったり、投げたりはしない、その上、後輩の私などに対してさえも気配りを怠らないのは、単に立川さんのサービス精神の旺盛さだけとは言ってしまえない何か人間的な魅力を感じたものでした。
未だに56歳の短い生涯が惜しまれます。
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