松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第31回 イタリア音楽史に見る発声の奥義 𝐈


世の中、発声に関する書物や記事の何と多い事か。ネットなどで調べてみてもその多様さには驚かされますが、発声と一言で言っても、そこには色々なジャンルがあり、極端な話、能や歌舞伎からオペラ、ジャズに至るまで広範囲な声の出し方があり、更にはその声と云う代物が目視できぬ難解さ故の結末と考えざるを得ない話でもあろうかと思うのです。
現に1955年私が東京芸術大学声楽科に入学以来、48年後のオペラ引退に至るまで、発声に関する納得のいく考え方や技術を身に付ける事なく過ごしてしまったと云っても過言ではありません。
二期会のオペラにデビューしてから40年間、オペラのみならずオペレッタ、ミュージカル、創作オペラ、宗教曲、邦楽や歌謡曲などのジャンルとのコラボレーション、TV音楽番組のレギュラー、私個人のリサイタル、二期会主催などのコンサートなどなど、息つく暇もない40年間だったと思いますが、自分の声をどの様に作り上げていくなどの方針や信念よりも、先ず目先の仕事を熟すのが精一杯だった、というのが正直なところではなかったでしょうか。寧ろ40年間走り続けた68歳でふと引退を決意した時、これで自分の声を基本から見直せると思ったくらいでした。
今振り返ってみれば、大学卒業までに色々と研鑽を積み、世にデビューするプロセスを踏まずして、世の中に放り出された後、そこで周りから色々なものを教え込まれ、育っていった人生だった様な気がしてなりません。
こんな行き当たりばったりの私の人生を振り返るより、引退した後私が発声について取り組んだお話をした方が遥かに皆さんにとっては面白い話になる事請け合いと思いますので、そちらの方へ話を進めてみましょう。
芸大入学後日本声楽界を揺るがせた事件が勃発したのは1956年NHKイタリア歌劇団の公演で、まさに声楽界の黒船来航に匹敵する出来事と云っても良いでしょう。それまで芸大の外国人教授は、リア・フォン・ヘッサート、ネトケ・レーベ、ゲルハルト・ヒッシュ、等凡そドイツ系の人材で占められ、医学と音楽は殆どがドイツ系の流れを汲む教育体系なのが常識だったのです。
NHKイタリア歌劇団の公演は8回1976年にまで及び、Lirica Italianaの名声は日本の第二次オペラブームとなりました。従って私のオペラ出演の40年間はLirica Italiana騒動の渦中にあったとも言えましょう。
オペラから引退し、大学からも名誉教授の称号を与えられ、やっと一人きりになれて隠居生活を始めたのが70歳の春でした。
大学の勤めも退職し、オペラ出演からも解放され、それまで緊張の連続の中に生きてきた緊張感の緒が切れたのか、この年の春から4年間というもの、虚血性大腸炎を始め胃癌、大腸骨動脈瘤など13回の入退院を繰り返したのがきっかけというものでもありませんが、兎に角部屋に閉じこもり物を書く作業が増える様になりました。そこで40年間日本のオペラ界で歌い続けてきた自分の声についての総括や発声法についてのあり方についての論議を始めたのが現在に至った経緯と言えるでしょう。
振り返って見るに、二十世紀に於ける日本の発声に関する理論は余りにも論理としての整合性に欠けた、非科学的なものでありました。つまり全てはイメージによる技術の伝承と言っても過言では無い程のマン・トゥー・マンによる技術の受け渡しに過ぎなかったのです。Lirica Italianaの洗礼を受けた私にはどうしてもこのイメージによる技術の伝承として確立された日本の発声法の負のスパイラルに疑問を持たざるを得ないのは当然の成り行きだったと思います。
私が目を向けたのはイタリア音楽の歴史でした。15世紀に起こったルネサンス音楽から20世紀に至るイタリアヴェリズモ運動の影響を受けた作曲家達によるオペラ作品の変貌はイタリアオペラの発声法の変化そのものと言えるからなのです。
次回はイタリア音楽の歴史を読み解いてみましょう。
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