松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

谷口源太郎氏 東京大会で“五輪は不要”の声が広がればいい


 本番まで約8カ月となった2020年東京五輪。膨れ上がる開催費用、暑さ対策、マラソン・競歩の札幌移転など迷走が続いている。東京大会は「五輪」という祭典の断末魔を世界にまざまざと見せつけることになるのではないか――。近著「オリンピックの終わりの始まり」(コモンズ)で「五輪は要らない」と言い切るスポーツジャーナリスト・谷口源太郎さんに話を聞いた。


――著書は五輪の暗黒史ともいえるものです。
 初めて五輪を現地取材したのが、1984年のロサンゼルス大会でした。五輪は「平和の祭典」として国際協調が金科玉条とされてきましたが、東西冷戦の影響で米国をはじめとする西側諸国が1980年のモスクワ大会をボイコット。その時点で平和の祭典が終焉し、84年のロス五輪でIOC(国際オリンピック委員会)主導の商業主義が露骨になっていきました。こうした五輪の質の変化と東京五輪開催を巡る問題が重なって、いったい誰のための何のための五輪なのかと思い、一冊の本にまとめました。


――平和の祭典に政治問題が持ち込まれた後、金儲けに変わっていったのですね。
 企業にとってスポーツは、自社のイメージアップを図る広報戦略や自社の商品を売るための販促。企業スポーツが社会で評価されることによる社員の士気高揚といった意味もあります。企業が一石何鳥も狙ってスポーツに資金を投入した結果、ショーアップされたロス大会が莫大な利益を生み出す先例となりました。それ以来、IOCが主体的に五輪ビジネスを展開し始め、今に至ります。


 ――日本もその影響をもろに受けました。
 例えば、98年の長野冬季五輪です。当時、西武グループのオーナーだった堤義明氏(元JOC会長)が、IOC会長から五輪博物館建設への2000万ドルの寄付を頼まれたことと引き換えに、招致を実現させたといいます。堤氏としては五輪を招致すれば、長野にスキー場や新幹線などのインフラを整備する理由ができる。五輪とスポーツレジャービジネスを紐づけたのです。


――分かりやすいビジネスモデルですね。
 五輪の商業主義化に歯止めをかけようと、五輪の簡素化を目指した良識派のIOC会長もいましたが、2013年に弁護士で元フェンシング西独代表のトーマス・バッハ氏が会長に就任して以来、規制緩和と新自由主義的な考え方に拍車がかかりました。彼の念頭にあるのは、五輪をいかにして持続させるかということです。東京五輪の次の夏季大会は、24年パリ、28年ロスに決まっていますが、招致に手を挙げる国が減っているのが現実。大会を続けるために何でもやろうというバッハ会長の方針に基づいて、14年に「オリンピック・アジェンダ2020」という改革案がまとめられました。


 ――どんな改革でしょうか。
 改革案40項目のうち重要なポイントは、複数都市開催を容認したことです。五輪の持続可能性を追求する中で、一つの都市に大会開催を負担させ続けると、どの国も招致に手を挙げなくなってしまう。だから、事情があれば、競技も会場も分散してもいい、よほどのときには海外で開催してもいいと認めたのです。「アジェンダ2020」に基づいた東京五輪は、今後の五輪のあり方を占う意味で非常に重要な大会に位置付けられています。


*分散開催を認めているIOCにとってマラソン札幌移転は当然
 ――分散開催といえば、東京五輪のマラソン・競歩が突如、札幌開催に変更されました。
 IOCにとって大事なのは、五輪の持続可能性。それは札幌開催についても言えることです。9月ドーハで行われた世界陸上の女子マラソンと競歩では、酷暑が原因で棄権者が続出しました。かなりショッキングな光景でしたね。バッハ会長としては暑さが懸念される東京五輪の舞台で、ドーハの二の舞いは絶対に避けたい。つまり、五輪の持続性が脅かされるような要素は何としても排除したい。すでに分散開催を認めている彼らにとっては札幌に移転しようが知ったことではないんですよ。


 ――IOCには東京開催を認めた責任もあります。
 招致委員会は東京の夏がアスリートにとって絶好の時期だとうそぶきましたが、こういう鈍感さが五輪を巡る問題の元凶です。五輪を支える欧米の巨大テレビがプロスポーツの始まる時期を外せと要求した結果、7、8月の開催という枠が決められてしまった。要するに、競技のコンディションやアスリートの健康など誰も考えていないのです。


■選手は「国威発揚」の道具としかみなされていない
 ――都や大会組織委員会が口にする「アスリートファースト」という言葉も空々しいです。
 アスリートファーストが何を意味するのか全く分かりません。幻想でしかないと思います。日本では五輪やW杯などの国際大会の際、外国人選手がいないのではと錯覚してしまうくらい、「がんばれニッポン」一色です。日の丸をつけた選手が国際的な評価の最も高い五輪で日の丸を掲げるというのは、「国威発揚」という観点で最高の効果がある。つまり、選手は国威発揚のための道具としかみなされていないのです。実際、東京五輪でJOCが掲げる目標は「金メダル30個」「メダル総数世界第3位以内」ですからね。組織委の森喜朗会長が「滅私奉公」をスポーツマインドだと言っているくらいですから、国家総動員の雰囲気がより徹底されていくでしょう。


――メディアも日本人選手が何個メダルを取ったか大騒ぎしますね。
 メダルを取る可能性がある選手には国や企業からお金が投入されます。メダルを取れない選手は国威発揚の道具としても、商品価値としても、あまり意味がないというか、選手自体の自主性や主体性は尊重されないわけです。IOCに「選手委員会」があって選手の意見を聞くという建前はある。しかし、エリートしか集まらない世界なので、選手の声に真摯に耳を傾けるかというと、そうじゃない。五輪の商業主義化が進み、大会が見せ物になっていくのも当然です。勝利至上主義や見せ物化はドーピング問題にもつながっています。


■商業主義や見せ物化でスポーツは貧困に
 ――見せ物に成り下がっている五輪から若者がどんどん離れています。
 若い人に大会を支持してもらわないと困るから、彼らを引きつけるために、スケボーやサーフィンやスポーツクライミングが五輪種目として採用されたのです。競技として採用されると、いろんな規約やルールが作られてしまう。遊びとしての豊かさや創造力、オリジナリティーが失われてしまうとは誰も思わないのでしょうね。五輪の若者への迎合が行きつく先は、テレビゲームの腕を競う「eスポーツ」の採用でしょう。


 ――そこまでして五輪を続ける意味があるのか疑問に思えてきます。
 商業主義や見せ物化が進んだ五輪を続けても、負のスパイラルが深刻になるだけです。各競技の国際的な連盟や競技団体を中心に、国際大会が五輪の予選会になっている現状を壊すことができるのかどうか。東京五輪を機に「五輪は不要だ」との声が広がればいいと思います。メダル候補選手を集めているだけでは、スポーツの土壌が貧困になってしまいます。


――東京五輪こそが五輪のあり方を見直すキッカケにならなければいけないと。
 来年3月に福島でスタートする聖火リレーから機運醸成に向けたプランが着々と実行されていく一方、東京五輪の抱える欺瞞性がより露骨に表れてくると思います。福島では「復興五輪」という見せかけの復興を演出するために、元住民の帰還や公的支援の打ち切りが行われています。福島原発事故で発令された「原子力緊急事態宣言」が今も解除されていない状況にもかかわらずです。日本はもう一度、人とスポーツとの関係性は何かを考え、アジア諸国と連携して、スポーツを豊かにするための主導権を握る役割を果たすべきではないでしょうか。
(聞き手=高月太樹/日刊ゲンダイ)
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