松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

剥き出しになった偽善の醜悪 五輪はもう廃止した方がいい

 


「2020東京五輪」の1年程度の延期決定を受けて25日、安倍首相はトランプ米大統領と電話会談した。
「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして東京大会を完全な形で開催するため、緊密な連携で一致した」というが、開催都市にもIOC(国際オリンピック委員会)にも関係のないトランプに、なぜ延期を直接伝える必要があるのか。
 五輪運営費の大部分を占める巨額の放映権料は、米国のテレビ局が支払っている。来年8月に予定されていた陸上の世界選手権は米国開催だ。今後の日程調整には米国が大きな影響力を持つ。
 加えてトランプは今月13日、いち早く「1年延期」を口にしていた。同じ延期でも“年内”では自らの11月の大統領選に絡むから避けたい。トランプが電話会談で1年延期を「素晴らしい決定だ」と賛同したのは、「シンゾー、俺の言う通り、よくやったぞ」というお褒めの言葉だったのか。
「スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する」とうたう五輪憲章などどこへやら、だ。
 そんな五輪の汚れた正体は今回の中止・延期騒動で嫌というほど露呈した。アスリートファーストとうそぶきながら、安倍もIOCのバッハ会長も「予定通りの開催」に固執。コロナ禍がアジアから欧米、そして全世界へと拡大し、選手の健康や安全を考えれば練習どころではない。
 とても今夏に五輪など開けないのは火を見るより明らかなのに、延期・中止の決断をズルズル先延ばしにした。
 我慢の限界に達した各国オリンピック委員会や当事者の選手から悲鳴が上がり、「今夏なら選手を派遣しない」と言い出す国まで出てきて、仕方なく延期を決めたわけだが、五輪憲章に従えば「2020年内の開催」が絶対だ。それが無理なら中止しかないのに、延期としたのは、安倍の政治的メンツとIOCの懐事情。IOCにとっては放映権料、スポンサー料などカネが入ってこないと今後の運営に支障を来すからだろう。


■延期はマネーファースト
 招致段階では7340億円だった大会経費は、どんどん膨れ上がり、大会組織委員会の公式発表でも今や1兆3500億円。会計検査院は関連経費を含めれば3兆円を超えると試算している。これに延期に伴う追加費用が加わることになる。一体、誰が負担するのか。
 バッハ会長は「人類の生命を守ることが大切。財政などは最優先事項ではない」なんてカッコつけていたが、マラソン開催地の札幌変更でのゴタゴタで分かる通り、IOCはカネを出す気などさらさらない。
 既に組織委は追加費用を3000億円規模と見積もっている。現状の270億円の予備費ではとても足りないし、金額はさらに膨らみかねない。スポンサー企業は延期決定に「さらなるスポンサー料を取られるのかが心配」とか言っているらしい。
 負担は国か東京都か。いずれにしても税金が使われる可能性が高いのだ。
 そもそも、裏金でIOC委員の親族を買収して招致した疑いのある金満五輪だ。そうした暗部に目をつぶり、スポンサーとして関わる新聞・テレビは、「中止にならず希望が出た」「来年の聖火リレーも、今年決まっていた人が優先だからよかった」などと延期による沈滞ムードの払拭に躍起だ。
 アスリートファーストの偽善と反吐が出るような商業主義。東京五輪に関し「ブラックボランティア」の著書がある作家で広告代理店出身の本間龍氏はこう言う。
「東京五輪は結局、ずっとマネーファーストの論理で動いてきました。中止にしたら、今後こんなリスキーなイベントに手を挙げる都市はいなくなるから、IOCは絶対に前例をつくりたくなかったのでしょう。見切り発車の延期なので、今の体制のまま、1年間ただ時間稼ぎをするだけ。本当にアスリートファーストならば、真夏の酷暑問題を考えて、時期の変更も真剣に検討していいのに、そこには手を付けない。無責任です」


■理念を捨て、4年に1度の形式まで崩す断末魔
 大体、1年後だって本当に安全に開催できるのか不透明だ。米保健福祉省がホワイトハウスに提出した内部文書では、新型コロナの終息には「最低でも18カ月かかる」としている。大流行は1年半以上続くというのである。花形の陸上など、多くの五輪選手がいるアフリカは、これから感染拡大が本格化すると懸念されてもいる。
 安倍は「各国と連携してワクチンの開発を急ぐ」と、1年後には治療薬が間に合うかのような発言をしたが、ただの希望的観測に過ぎない。それでも1年以内にこだわったのには、安倍の身勝手な政治的思惑が透けて見える。来夏までの延期なら、来年9月の総裁任期内に開催できるからだ。何よりも「自分の手で五輪」というレガシーづくりに執着した結果だろう。延期幅の“政治利用”は25日の国会でも野党が問題にしていた。選手不在、国民不在、人命軽視が甚だしい。
 スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が言う。
「政治利用はオリンピズムと相反するものです。そこには『人間の尊厳の保持』に重きを置く五輪の精神はひとかけらもありません。本来ならここまでくれば中止にすべきでした。五輪憲章では五輪の開催は4年に1度です。つまり、2021年への延期は憲章に反する。今後、憲章を変えることになるでしょう。1984年のロサンゼルス開催から、五輪はスポンサーやテレビ局による収入に頼った“興行”と化し、オリンピズムの理念はすでに消えうせていますが、今回、4年に1度というオリンピアードの形式さえ取っ払う。断末魔もいいところです」


■「復興五輪」が「コロナ勝利五輪」へ
 そして、開催後に残されるのは負のレガシーだ。新国立競技場はいまだ五輪後の利用方法が決まっていない。16年リオデジャネイロ五輪で、後利用計画が不十分だった結果、多くの施設が廃虚化したが、その二の舞いになりかねない。お祭り騒ぎの後は、日本中が徒労感とむなしさに覆われることになる。
 こんな無意味で無駄な“祭典”に今後、手を挙げる都市があるのか。すでに、東京の次は、24年パリと28年ロサンゼルスの2開催の都市を一度に決定するという異例の方法が取られた。手が挙がるうちに決めておきたい、というIOCの焦りからだっだ。今後は海を越えた複数都市開催もあり得る、がIOCの方針だが、そこまでして五輪を続ける必要が、果たしてあるのだろうか。
「4年に1度、さまざまな競技の選手が1都市に集まり、世界最強を決める。交通の便が悪かった昔だからの大会で、今は世界各地で国際大会が開かれ、競技別に世界選手権がある。もはや、五輪に全ての競技を集約する意味は消滅しています」(本間龍氏=前出)
「アンダーコントロール」という原発汚染水を巡る招致時の嘘。公式エンブレムの盗作。招致に絡むワイロ疑惑――。まさにデタラメだらけの呪われた五輪である。
 ついこの前までは、原発事故からの「復興五輪」と叫んでいたのに、今はコロナ禍からの克服を掲げる「勝利五輪」というご都合主義。五輪延期が決まった翌25日、東京都の感染者数が一気に41人と急激に増えたのも、これまで言われてきた「五輪のため検査を少なくして感染者数を抑えている」という疑惑の証左のようで怪しい。
 前出の谷口源太郎氏は「誰のため、何のための五輪なのか。今度のことは、五輪そのものをなくすいい機会なのではないか」と言ったが、その通り。もう五輪なんて、廃止した方がいい。
(日刊ゲンダイ)
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