松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

熟年離婚の是非


2005年テレビ朝日の木曜ドラマで放送された「熟年離婚」は高視聴率を獲得し当時の流行語にもなりました。それまで何年も連れ添った夫婦が離婚するのはみっともないと考えていた人達も、もしかしたら熟年離婚は時代の流れなのかも知れないと考えはじめても無理のない事かもしれません。
なるほど子育ても終え、定年間近の生殖機能を失った老夫婦に何の弾ける様な話題が存在しましょう。お互いの疎ましさこそ募れ、他に目新しい話題や奇跡的な事柄が起こる可能性が低いのは当然の事と云えましょう。
考えるのはこの刺激のない人生、残りの時間をこんな無為に過ごして良いのか、私には第二の人生が待ち受けているのではないか、と期待し焦りにも似た感情を抱いているのがあなた達ではないのでしょうか。そもそも人生に第一や第二は無く、一回こっきりだとわかって二人連れ添って過ごしてきたのではありませんか。
妻にとって熟年離婚の第一の理由が定年退職した夫と四六時中一緒にいるのが疎ましい、と云われています。二人が一緒になった頃は一時も離れているのが辛かったでしょうに、変われば変わるもので、疎ましいと言われては身も蓋もありません。一方夫の方は「昔から畳と女房は新しいに限る」を堅持し何とか古女房を袖にする計画に熱心な様子、「あれから四十年」綾小路きみまろ師匠の掛け声が聞こえるようです。
この歳になってお互いが相手の立ち居振る舞いがストレスの元などと言う話はそもそもふざけた話であり、相手あってこその夫婦生活では成り立たぬガキの論理でしかありません。相手の疎ましさの責任の半分は己にある認識さえ確かであれば「あれから何十年経とうが」諍いは起こる筈もない、まさに喧嘩両成敗なのです。
最近ニュースなどで歴史認識と云う言葉を耳にします。国家などの歴史観を指すものでしょうが、国家間の歴史認識が異なれば、外交問題延いては国際紛争などの火種になりかねません。
国家ばかりでなく個人の歴史観、つまり人生観にも同じ様な事が云えるのではないでしょうか。若い頃お互い抱いていた相手に対するリスペクトは消え失せ、相手への感謝さえ無くなってしまった今、いくら若い頃に返りたいと叫んでも、叶わぬ願いであることはあなた自身が一番ご存知の筈です。上手くいかないからといって自分の人生の歴史を書き換える事など誰が出来るでしょう。一度しかない自分の人生の歴史を認識することが、その後の人生の生き方の道標になると考える方が論理的に整合性のある思考回路と云えましょう。
それにしても新婚から僅か半世紀足らずで人間の生き様は斯くも変わり果ててしまうのでしょうか。勿論生殖機能を失った肉体上の変化や体力の衰えなどの問題もありましょう。巣立っていった子孫との環境の変化、刻々と移り変わる社会情勢、世の中の科学の進歩について行けぬ頭脳、ストレスは数限りなく増え続け、年老いた伴侶の老後など介護出来る余裕などある筈がない、と考えるのも無理からぬ話。しかし幾ら相手のある事とは云え、あなた自身この世に生まれてきた意義があるのも動かしがたい事実、あなたのライフワークはあなた自身が完結させなければ誰がこの仕事を成し遂げ得るでしょう。
ライフワーク、それはあなたがこの世に生を享けてからというもの、必ず成就したい夢だった筈です。生涯の伴侶として選んだ配偶者との人間関係もさることながら、あなた自身の生き様、つまり人生そのものであるライフワーク、天職の問題をなおざりにして人生を全うしたと云えるものでしょうか。亭主やカミさんに目くじらを立てる前に、あなた自身の問題を厳しく問いたださねばなりますまい。それともあなた、ライフワーク、ありますか?
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