松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第25回 専門用語の独り歩き


ネットを開くと意外にも声に関する書物や記事の多さに驚かされます。ベルカント、アクート、ジラーレ、パッサッジョ、アッポッジョ、そしてこれらの言葉が恰も今迄使い慣れた用語の様に平然と人々の間を飛び交い、用語としての役割を果たしている様に見受けられます。
上に述べた五つの言葉は全てイタリア語ですので、日本語に訳せば、美しい歌、鋭い、回す、通過、支え、となりますが、これらの用語を使いこなしているであろう人々は、これらの言葉の本来の機能や使い方に熟知されているのでしょうか。
例えばアッポッジョ(Appoggio)について、この言葉を恰も使い慣れた日本語の様に駆使している声楽を志す諸君は本当にアッポッジョについて精通しているのでしょうか。
 先ずはネットで発声の話をアップされている専門家の先生方、国分博文、塩塚隆則、秋山隆典、渡辺健一、四氏にご意見を聞いてみたいと思います。


国分博文 先生:
アンサンブル・ヴォッリオ主宰。福岡県久留米市出身。洗足学園大学(現、洗足学園音楽大学)音楽学部声楽科卒業、安部順子(旧姓 佐野順子)氏、故 安部嘉伸氏に師事。1996年~1999年、イタリアのローマに留学、Eugeno Lo Forte、Laura Didier Gambardeellaの両氏に師事。1997年夏、イタリアのラツィオ州におけるLago di Bracciano音楽祭参加。1999年6月、ローマの聖エリージオ・デ・フェラーリ教会でリサイタルを行う。第3回「長江杯」国際音楽コンクール入賞。第9回太陽カンツォーネコンコルソ入選。2003年にアンサンブル・ヴォッリオを結成、首都圏を中心に全国各地で活動中。その音域の広さからコンサートではバリトンからテナーのアリアまでカバー。


【アッポジオ(寄り掛り・支え)】
歌唱の基本は腹式呼吸・・・とよく言われます。横隔膜を下げ、下腹に力を入れて背筋を意識しながら息を吐く。付随して丹田・恥骨・咽頭引下げ筋・・・etc. 一声出すのに様々な器官に意識を張り巡らし・・・残った意識で歌も歌う。そして歌い始めた声が「喉声」であろうものなら・・・まったく腹式呼吸と結びつかない。
 アッポジオとは作為的な力みや力尽くの腹式呼吸ではなく、ブレスの度に「声の支え処」を生み出す呼吸の循環です。フレーズの最後まで想いを残し、次のフレーズが見えて来た瞬間・・・空気が流れ込む(ブレス)の感覚が大切です。但し、これは「喉声」で歌っているうちは自覚できません。安易に喉声で歌わない歌唱センスも必要です。喉から声を外す感覚が「自覚できる」ことが前提となります。アッポジオによりかかる事で・・・パッサッジョ域を超えると自然にアクートが生まれ、飛躍的に高音域が広がります。
 私のHPやBlogの初項で概念的な腹式呼吸とアッポジオ(アッポジャーレ)つまり歌唱時の支えは別物と唱えています。歌唱において作為的な腹式呼吸は役に立ちません。
 最近、私のHPやBlog以外でもアッポジオ(アッポジャーレ)を耳にします。しかし、作為的な腹式呼吸が役に立たないのと同じように、作為的なアッポジオも役に立ちません。
 作為的、力づくのアッポジオとは作為的、力づくの腹式呼吸と同義語・同意語です。アッポジオとはこの何れでもありません。アッポジオの言葉、概念が独り歩きしない様、再確認させて頂きます。
 アッポジオが力づくになってしまうのは、パッサッジョ域まで喉声で歌い、それ以降もその延長で歌い切ろうとするからです。しかし、これではファルセットの高音域まではアクートは広がれません! 喉声だからです。しかし、胸声域にも拘わらず上のポジションで歌っています。この胸声域での上のポジションで歌えて初めてブレスのタイミングでアッポジオが生まれます。力も使わずにです!そして、アッポジオに寄り掛る事で自然にパッサッジョ域から上がアクートになってしまうのです!
 大切なのは「なってしまう摂理」なのです。信じがたい内容だと思いますがこれがアッポジオ(アッポジャーレ)テクニックです。まさしく「悟り」なのです。そして特筆すべきは、アッポジオは胸声域での上のポジションとしか結びつかないと言う「真理」です。つまり喉声で歌っているうちはアッポジオの感覚は生まれないと言う事です!
 磁石の異極同士が結びつきあい、同極同士が反発するがごとく、同極同士を結び付けようとするから力づくになってしまうのです!
 胸声域には二極が存在し、アッポジオと結びつくのは異極、つまり上のポジションのみ!磁石の極性が外見では分からない様に、胸声域の極性は音耳・耳コピーの人には分かりません。歌を「歌耳」で捉えてはじめ感じる世界です。
 このセンスを感じ得ずに歌うとすべてが喉声となり、作為的・力づくのアッポジオや腹式呼吸に陥ってしまうのです。
 胸声域での上のポジション、バリトン・バスの歌唱の「生命線」です。ここを感じ得て初めてアッポジオテクニックの入り口です。しかし、音耳傾向(耳コピー)の人には、この入口すら遠いはずです、音耳傾向の人、喉声歌手には胸声域は下のポジションしか存在しない、感じ得ないからです!


塩塚隆則 先生:
千葉県出身。第43期二期会オペラスタジオ・マスタークラス修了。田中誠、渡邊誠、G・ジャコミーニ各氏に師事。
 法政大学工学部卒業。大学卒業後、エンジニアから声楽へ転向。
2004年に「アンドレア・シェニエ」のシェニエ役、2005年2月には「リゴレット」のマントヴァ公爵役を公演二日前に代役で引き受けて成功。2002年の東京文化会館「トロヴァトーレ」公演では驚異的ハイCが話題となり、「日本のKing of highC」として評された。2002年新国立劇場「蝶々夫人」ピンカートン、東京文化会館「イル・トロヴァトーレ」のマンリーコ、「仮面舞踏会」のリッカルド、「椿姫」のアルフレード、「カルメン」のドン・ホセ役、「ジャンニ・スキッキ」のリヌッチオなど、数々のオペラの難役を演唱し絶賛される。
ミュージカル「マイ・フェアレディ」のフレディ役等で好評を博す。また、ベートーヴェンの「第九」のテノールソロ等コンサートでも活躍した。二期会会員、東京室内歌劇場会員、日本芸術家ネットワーク理事、クリオーゾ合唱団指揮者、オペラ・クリオーゾ主宰。

【支えって何だろう?】
歌の勉強をする人ならば皆、耳にする「支え」広く流通していますが、なんとも掴みにくい表現ですね。支えの為に腹筋を鍛えたり、背筋を鍛えたり丹田に力をこめたり…皆さんいろいろやっていますが一体、支えってなんなのでしょうか?

注射器に例えるとピストンを押す指の役割を腹圧が担っているのです。均等なスピードでピストンを動かす。つまり内臓の圧力をコントロールして横隔膜を一定スピードで動かすことで安定した息を供給し、それが声に安定感をもたらします。ですから腹筋などは、頑張っても、そんなに支えには繋がる訳ではありません。
注射器の外壁を固くするくらいの意味合いになり、内臓をうまくコントロール出来なければ、声の支えにはなりきれない、ということになります。
支えを生むには次のような運動が有効になります。
1、内臓を上に引き上げお腹を少し引っ込めて10秒停止。
2、力を抜いて息を吸う。を繰返します。次に逆の運動をします。
3、内臓を下に引き下ろし骨盤内に圧力をかける。
4、力を抜いて元に戻す。更に実用的にエクササイズしましょう。
5、内臓を上下に同時に圧力をかける。
横隔膜を突き上げる動きと骨盤を押す動きが同時に起こるようにします。ビーチボールが膨らむと上下にも圧力がかかる、そんな感じですね。これらは10秒停止して力を抜いて戻し、を3回行います。高い技術で歌うには更にポイントを絞って圧力をかけていきます。それはまた次回に。


秋山隆典 先生:
東京音楽大学声楽科卒業・同大学研究科修了。
東京音楽大学研究科修了後イタリアへ留学。ミラノ・ヴェルディ音楽院、ミラノ音楽院において研鑚を積む。G.プランデッリ、A.カンビ、F.ダビア諸氏に発声を、スパルティートをV.ボッローニ、A.トニーニ諸氏に師事する。
二期会会員、東京音楽大学准教授、桐朋学園芸術短期大学講師。


【支えについて】
マイクを使わず大きなホールでも、隅々まで声を響かせるためには、身体のどこかで声を支えなければなりません。ドイツ唱法では横隔膜をほぼ固定して支えます。ベルカント唱法では横隔膜の後ろの面(腰)を徐々に下げて支えます。要するに、息を吐いて下腹を徐々に身体の中心に押していくに従い、それを引っ張るように腰を重くしていきます。固定した力ではなく、バランスを取り流動性のある支えをするのです。このように支えが腰にあると、身体の前面に力が入らず開放されます。胸や、喉も楽になり、手も自由に動き、オペラで演技が滑らかにできるようになります。


渡辺健一 先生:
イタリア在住オペラ歌手。2007年新国立劇場公演「フラ・ディアヴォロ」でデビューののち、同劇場で2年間活動したのち渡欧し、エコールノルマル音楽院オペラ科、フランスオペラアカデミー(L'academie Lyrique)を経て、2009年にパリ・シテ・デザールにてドビュッシー「アッシャー家の崩壊」で欧州デビュー。
その後は2011年にルーマニア国立放送管弦楽団と「セヴィリヤの理髪師」を、2012年「愛の妙薬」をドイツ4都市の劇場、およびイタリア・コゼンツァ市立劇場で歌い、2013ー2014年はドイツで「ドン・パスクァーレ」「コジ・ファン・トゥッテ」を演じ、2014年は「ドン・パスクァーレ」をイタリア・コゼンツァ市立劇場で演じている。


【支え】
支えとは何でしょうか、何を、何で、どのように支えるのでしょうか。これをもし、先生に尋ねたら、横隔膜で声を支えるのだよ、というのでしょう。何の事だかわかりません。
たとえばあなたが男性で、パワフルで喉でつぶれるような声を出しているとき、あなたには何かふわっとした響きが必要。これは合唱団なんかでも、そうするようアドヴァイスを受けるかもしれません。いわゆる、支えのない状態のひとつ。
たとえばあなたが女性で、きれいで深い丸いファルセットだけど、こもってて、強い焦点のあった響きがない、という場合、この場合も支えられてない状態のひとつ。
しかしながら、この双方の支えられてない状態へのアドヴァイスはまったく異なる。つまり、一言で支えられてないというけど、支えといっても、ひとことで、おなかで支える、などとシンプルにはいえない。
ここでわたしなりにこたえると、前者の男子は、喉のスペースが足りない。始めの段階では頭声とか習うかもしれない。わたしの言い方ではアッポッジョがない。この用語は、音高生・音大受験生であるあなたたちにも名前だけは知っておいてほしい。イタリア語ではもたれかかるという意味で、一種のリラックスであり、空気を支配してスペースを生む呼吸の技術。
しかし重要なのは、どのような音がアッポッジョがある状態なのかであり、これは絶対知らねばならない。それは、深く、丸く、同時に高い響きを得たような音。男性は、地声ではなく、一種の、声楽的な声を出してると感じるかもしれない。女性は、より深いメゾ的なファルセットになったと感じるかも。どこかを下に押したりすることではないので注意してほしい。
このアッポッジョがまずは重要だとわたしは思います。
ちなみに後者の女性の、支えられてない状態として例を挙げた問題は、アッポッジョはある程度あるけど、強い焦点がないばあい、それはそれで支えがない。やはり横隔膜を使って、前方に向かって強い響きを支える技術を、ソステーニョ、といいます。ソステーニョとは、英語になおすとサポートだが、イタリア語では下から上に向かって支える、という意味。しかし本日はアッポッジョのことのみ。
まず、スペースをどこに作るのでしょうか。それはのどの後ろのスペースです。たいへん理解の難しいことですが、口の中ではない、といわねばならない。デヴィーアはPiena di aria dentro la bocca 口のなかにたっぷりの空気、といったが、非常に特殊な音響効果を狙うばあいはともかく、基本は、のどの後ろをスペースをもつべき。みなさんだって、のどをあけろ、といわれたことはあるでしょう。のどをあけるのであって、口ではない。しかし喉のうしろにスペースをもつために重要なことは、この部分に物理的なスペースを生む技術を先生とマンツーマンで学ぶことですが、第一に、喉と、それから、おなかの特に前面から力みをとることです。次に、のどの後ろに空気のふくらみを維持するには、空気を遮断すること、密閉すること、が必要です。この遮断、この密閉を知らずして歌えば、あたまではいかにここにスペースをもつべきだと考えてもスペースは自然に閉じてしまう。
多くのひとはのどを開こうとするのに歌うと自然に閉じてしまう、と述べ、しまいにはのどを開けるという概念さえ疑ってます。当然のことです。
さて、この空気の遮断、空気の密閉ですが、おそらくこのブログを読まずとも、このアイデアそのものは、あなたはすでに近くの音楽教室とかで習ってるはず、つまり、腹式呼吸で空気を吸った後、おなかのなかを下げ、それを保つ、と。この方法の是非はともかく、わたしが言いたいのは、このアッポッジョ、このスペースを得るには、ひとは本能的に、この空気を、たとえばおなかなどで、止める、留める、という手段をとるということ。もっと楽に遮断、密閉できる方法はあるが、とりあえず、空気を支配しスペースを得る、というこのアイデアだけは声楽の真実らしい。
 このスペースを保つことで、あなたはいわゆる声楽の声を得る。とくに男性は顕著に変わる。ロックみたいなりきんだ声が、空気を含んだ、温かい、高貴な声になる。女声は、ひらべったい声は深く丸みをおび、明るい音色は奥行きのある音色になる。このとき、双方、暗い音色になるが、アッポッジョを得て、スペースを得て、到達される暗い音色は正しく、また追うべきもの。教師は、むろん生徒が声をつくってこの暗い音色を故意に追うことをとがめるものの、初期の段階では、むしろ、なんとなく暗さを追いかけてもいい。児童教育などにおいても有効なはず。
 このスペースは、のどを、それから重要なこととしておなかもゆるめてつくり、空気を支配して保つ。考え方としては、のどをゆるめこのスペースをつくることはシンプルであり、このスペースをいかに保つかが難しい。というのもこのスペースはきわめて高度なリラックスが必要だが、リラックス、という概念と、保つ、という概念は矛盾してるとも思える。
 しかしながら、16-23歳の諸君は、こんな哲学的禅問答は無視し、あるフレーズでは支えきれなかったりしてもかまわない。
 とりあえず全体的には、このまとまったくらい丸い深い美しい音色を保つことで、クラシック音楽界は、若い歌手としてあなたを迎え入れる。
 音楽院の先生や、聴衆に対し、清潔で、きわめて訓練された、美しい声、だと思わせるには、じゅうぶん。
 予想される当然の議論として、ただふわっとした深い丸い声ではだめで、もっと強い焦点のあった声がオペラ歌手には必要という議論もあるが、しかしながらわたしの生徒ではないアンダー23歳のあなた方がまず考えねばならないのはアッポッジョ。また、わからなくなったら、このアッポッジョに戻ってほしい。


以上四人の先生方にアッポッジョについて伺いましたが、あなたは納得できたでしょうか。


昔から声という目視できぬものを説明するために、先達はイメージというものを駆使しこれらの理解を深めようとしました。しかしイメージというものは自分の頭に思い描いたものを、そっくりそのまま他人に描かせる事は如何に不可能に近いかを思い知らされる事になるのは当然の成り行きでした。つまりそこには科学的な論理の仮説も検証もない整合性のないものに過ぎなかったから、普遍性も生まれなかったのです。


土台声という目視できぬものの支えを具体的に述べろ、と言われても到底文字にできるような代物ではありません。しかし声の支えが生まれる環境は単一のものに支配されると考える方が余程ハイリスクな思考ではないでしょうか。ある複数の条件が満たされた時、声の支えが完成するとすれば、その満たされる複数の条件を探る事はそれ程困難を伴うものでもありますまい。


専門家の先生方に伺っても釈然としない答えが返ってくるようでは、受講者にとってアッポッジョという言葉は知っていても、その実態が何であるか、まさにアッポッジョという言葉が独り歩きをしていると言わざるを得ないではありませんか。
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