松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

公開レッスンを受ける生徒さん達に思う

  


現職時代たびたび声楽部主催の公開レッスンを開きました。その時招聘する講師によって受講生の反応も異なってくるため、受講生は公募または推薦ということになるのですが、私の教室からは一度も受講生が出たことはありません。私が意図的に計らった訳ではないのですが、何故か結果としてはそうなってしまいました。個人的にはレッスンを公開する意義に対して疑問を持っていましたので、学生諸君も何となく私の気持を感じ取っていたのかもしれません。
そもそも声楽のレッスンというものが各教室によって、教育目的や内容があまりにもバラバラでありすぎる事に起因するのでしょうが、声楽のレッスンに対して一貫した指導要綱が示されているわけではないし、また示さなければならぬと云うものでもないのでしょうが、世の中、教育目的や教育要綱に対してかなり厳しい議論、批判が行なわれている中で、声楽のレッスンだけはまるで治外法権のような有様で、無政府状態といっても良いくらいの現状であるのも気になる問題なのです。
これは恐らく我が国だけの問題にとどまらず、世界諸国の声楽レッスンに言えることかも知れません。指導者が自らの成功例として看板を掲げているのが声楽レッスンのステータスであり経済的価値でもあるのですから、この基本的な考え方に、例えお役所といえども、これに規制をかけるには難しい問題を抱えてしまう躊躇があるのでしょう。まかり間違えば個人の基本的人権を侵害する事にもなりかねないのですから。
従って声楽のレッスン講師の評価は玉石混交とならざるを得ません。講師本人が成功例ではあっても、その教育メソッドは万人に通用するか否かは、評価の別れる問題でしょうし、レッスン担当教師の選択は受講者にとって自己責任の代表例と言える賭けのようなものでもあるのです。
声楽のレッスン一つとってもこれだけの問題を抱えている上に、公衆の面前で、これら不確かな声楽講師の指導を受ける不安とリスクを考えれば、敢えて危険を冒すバカはいないと考えるのが人情というものでしょう。
勿論世界的なスター歌手の公開レッスンともなればその歌手の指導を受けたいと考える人は大勢いるに違いないでしょうし、レッスンを受けなくても会場に足を運んでその指導ぶりを目にしたいと考えるでしょう。
NHKイタリアオペラが来日した時、芸大でも度々来日メンバーを招聘し公開レッスンを開催しました。当時の芸大は旧奏楽堂が公開レッスンの会場でしたので、興奮した学生が拍手ではもの足りず、足を踏みならしてアンコールを求めたりしたため、木造の旧奏楽堂の床が抜ける危険を心配して、教官が制止に入った例もあったくらいです。それでもこのようなやり方が教育的成果を上げたかについての検証もされず、単なる祭り事に終わってしまったのではないかと考える虚しさも残ろうと云うものでしょう。
公開レッスンと銘打つので、誰もがその場で急に上達する夢をみるのでしょう。公開アドバイスとか公開指導計画などと言えば、受け取る側もそれなりの覚悟を持って耳を傾けるに違いありません。
今まで数かぎりない公開レッスンに立ち会ってきましたが、その大部分は受講生をいかに傷つける事なく、指導講師の力量が最大限に示され、その場の雰囲気を盛り上げる方法に終始したと言っても過言ではありますまい。要するに公開レッスンの教育目標とは遥かに異なる「公開レッスンショー」の成果が問われていたのにすぎなかったという事です。
私の様な80歳を超えた人間にとっては、現在の自分は何が出来て何が出来ないかを明確に選り分けることができます。従って自分が受けるレッスンの目的及び内容について声楽教師に要求することも厭わぬし、それどころか自分の考えている目的及び内容を満たしてくれる声楽教師を指名することすらできるでしょう。しかし若い今からの人達にとって現在の自分の立ち位置を分析することは疎か、具体的な目標を示すことすら覚束無いのでは、あまりにも無防備なこの若者を公開レッスンのスケープゴートに仕立て上げても良いものでしょうか。
声楽のレッスンは恰も、病人と医師の関係の様なもので、医者は病気を治すことができるので病人は医者を訪ねるでしょう。しかし医者といえども生身の人間ですので誤診や不手際がないとは言い切れない。それでも医者に任せないと病気を治す専門職は存在しないのですから医者に診てもらう。
私も70歳の時、胃癌で胃の2/3を摘出してから4年間で13回の入院を経験しました。その間、誤診が1回ありましたが命に別条はありません。当然自分の命は身分で守る権利と義務がありますので、誤診をした町医者を別の医者に変えました。医者を全面的に信用はしないが、医者以外に病気を治してくれる人はないのです。
教育も同じような事が言えるのかもしれません。教師を全面的に信用する気はないが、教育の専門職は教師以外誰も見当たらないのです。
声楽教育の発展をも含めて、受講生の皆さんができるだけ早い時期に自らの目的地とそれらの達成に伴う工程表を自ら確認するぐらいの卓越した考えを持つ事が何よりの早道だと言えるのではないでしょうか。自分の命は自分で守らなければなりません。
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