松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第4回 世はベルカント花盛り


いつの頃からかベルカントと云う言葉が普通の音楽用語として使われるようになりました。思うにNHKが招いたイタリア歌劇団の来日辺りから急激にイタリア音楽の流れが世の中を風靡するようになったのではないでしょうか。それまではと云えば医学と音楽は全てドイツに右へ倣え。用語も人材も文化も全てドイツ流であれば問題なしといった塩梅で、因みに1950年(昭和30年)に受験した私の課題曲はイタリア歌曲だったにも関わらず自由曲はシューベルトの冬の旅Das Wiirtshausでした。
博多で受験準備をしていた時、師事していた師匠が、課題曲は発音が優しいイタリア語を選び、自由曲は音楽を歌い込めるシューベルトを選んでくれた配慮が伺えます。これはごく僅かな例かもしれませんが、当時の音楽のあり方としてドイツ音楽を最優先に考える一つの良い例と云えるかも知れません。
芸大へ入ってからもドイツ音楽の流れは続きます。外国人教授はリア・フォン・ヘッサート、ネトケ・レーベ女史。ゲルハルト・ヒッシュ氏、因みに一年生の試験曲がこれまた冬の旅のErstarrung。学生時代はオペラ曲などを選ぶと喉を痛めるから、と云う理由で選曲しない教授も存在したくらいだったのです。
それがどうでしょう、1960年代にはいると世の中は一変し、イタリアのカンツォーネはキャンパスに氾濫し、イタリア歌曲の楽譜やピースが品薄になる時代を迎えるとは誰が予想したでしょう。
ベルカント、15世紀末イタリアで起こったこの発声法は19世紀中頃ロッシーニのオペラによって完成されたと云われていますが、現在私達が思い描くベルカントとは随分掛け離れたメソードだったことをご存知でしょうか。一例を挙げてみますと女性歌手は「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」とされ所謂ベルカントの華やかさを継承するイタリア流歌唱法である事に変わりがないとも思われますが、当時の男性歌手、特にテノールは全て幼少の頃、睾丸摘出手術をうけたカストラートが全盛だったことを思うと、余りにも現在語られているベルカントとは様子が違う事に気付かざるを得ないでしょう。
更に19世紀末にはイタリアでヴェリズモ運動が盛んになります。現実主義と云われたイタリア文学で起こったリアリズム運動で、やがて演劇、オペラなどにも影響を与えました。ジョヴァンニ・ヴェルガの小説「カヴァレリア・ルスティカーナ」はその代表作と云えます。この小説は後に戯曲化され、ピエトロ・マスカーニによってオペラとして作曲され、ヴェリズモ運動は広くオペラ界まで巻き込んだものとなり、これらに賛同する作曲家達によってヴェリズモ・オペラが誕生することによって、ベルカントはそれまで華麗で技巧的な歌唱表現から、現実的なリアリズムを表現するための歌唱法、発声法へ変化を遂げたのも無理のない話です。
具体的には1829年に初演されたロッシーニのオペラ「ウイリアム・テル」でアルノール役を歌ったアドルフ・ヌーリは高音を美しいファルセットで歌っていたのに対し、1837年パリオペラ座の公演で新進テノール歌手ジルベール・デュプレは実声の様な響きをもったアクートで高音域を歌い切ったのです。ロッシーニは「残念な事に我々のベルカントは失われてしまいました」と嫌悪したが、聴衆はその力強い声に熱狂した。と云う記録が残っています。
つまりカストラートによる男声の高音域発声は終止符を迎えたばかりか、女声の発声法も従来の華やかさ流暢さだけではないドラマティックなリアリズムが表現できる発声法へと変わらざるを得ない時代の到来を感じる事ができます。このアクートな発声法とベルカントの関係は声区の考え方が理解できなければ混乱を招く事になりかねません。次回は声区についてお話ししましょう。
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