松尾篤興のブログ「閑話放題」

今迄にない科学的な整合性から導かれた正しい発声法から、日本の政治まで、言いたい放題の無駄話。

黒い星から来た歌手達 第7回 ブレスの話


昔「ブレスを制する者は発声法を制する」と云われてきました。現在でもこの論理は一理ある事が伺えますが、ブレスの圧力や量が大きい声を作ると信じられてきた時代に生まれた私達にとってブレス崇拝の神話は寧ろトラウマであり、警戒すべき話のひとつだと身構えてしまうほどブレス神話に苦しめられた被害者でもあるのです。
具体的にはブレスの圧力や量を増すためには腹筋を鍛えなければならない、というわけでレッスン室のグランドピアノを腹筋で動かすトレーニングをやらされました。300kgを超すグランドピアノを腹筋で、いや全体重をかけても動かすのは難しいに違いありません。しかも腹筋が強化されればどの様に声の響きや声量に影響を及ぼす、という肝心要の説明は何もなされずじまい。これでは単なる思い込みと云う以外考えようがないのです。
実際このトレーニングを継続しますと、腹筋を動かすために息を止めて息む分喉周辺に力が入り、いわゆる関取衆に見られるような過呼気と云いますか嗄れた声になり、この体制で高音域でも出そうものなら喉周りの筋肉が硬直した濁声になってしまいます。
 人前で思う存分大きな声で歌を歌ったらさぞかし気分が晴れるだろう、と思うのは誰しも共通の思いでありましょう。日本で開発されたカラオケが全国各地で爆発的人気を博しているのも、人々のこの様な思いから起こったブームと云わざるを得ません。またTVなどで大声コンテストなどの番組も見かけますが、これら一連の現象も元はと言えば大声を出す爽快感に因るものではないでしょうか。
 これら人間の属性として本来持っているもの、大声=大量の呼気、大圧力の音声、が定番として刷り込まれているのを否定する訳にはいきません。大声を出すときに伴う大量の呼気、大圧力によって絞り出される大音声は過大なエネルギーを伴うため、大声を出した後の爽快感は得も言われぬものがあるのでしょう。この様な人間の属性と結びついた大声の概念は長い間、声楽の発声技術の一端を占有してきました。曰く「大きな声で歌うためには腹の底から声を出せ」、つまり横隔膜の筋力によって呼気の量と圧力を伴えば声量と声響は間違いなく増大する、という考え方が大方の常識として定着する様になったのは否めません。ならば声量を増すために横隔膜を支配する腹筋の強化に走る様になりました。私も1955年芸大入学当時、声楽科の学生が色々な形で腹筋運動に励んでいたのを目の当たりにしています。腹筋を鍛えるだけなら未だしも、吸気のとき下方へ吸い込んだ横隔膜を、声を支える為と称して、呼気に転じても横隔膜は低い位置に保ったまま丹田を据え、声に圧力をかけて響きや声量を増すのが発声技術の真髄と教わったものです。
 これらのメソッドを現在、科学的に証明しろと云われても恐らく誰一人として整合性のある論理を展開する事は出来ないでしょう。当時は唯ひたすら先生の仰る事だから間違いはなかろう、と信じて励んだに違いありません。確かに声量や声響を増すために呼気の量や圧力を増やすのは間違いのない事かもしれませんが、これらは全て音声に雑音を伴う躁音であり、音楽に使う為の楽音ではないと云う事に気付かねばなりません。そこそこ大きな高い声は出るのに、柔らかなdolceや繊細なppが歌えない歌手などを見るにつけ、何と表現力に乏しい歌唱技術の持ち主かと見限ってしまう原因は意外にもこの様な基本的な技術修得に欠陥があるのに、本人がそれに気付かない悲劇なのです。そして大声を出そうとする時ばかりか、これらの発声方法が一つの癖として定着してしまいますと、所謂濁声としてその人の普段の音声として形成されてしまう結果がまっています。大量の呼気や高圧力のブレスが響く声に結びつく発想ではなく、適切な量のブレスやスムースなブレスの流れが、伝達力に優れた通る声だと云う考えを持つ事が発声技術の基礎として確立されない限り、ブレスの神話はあなたを一生苦しめる事となるのです。
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